釣撮ダイアリー

釣りと写真と時々建築の話

2011年05月

サーフエギング(11.5.21)と怖い話1

金曜日の夕方事務所で構造屋のS君に
「あそこは今どうかな?」
「釣れると思いますよ。」
その一言で決定。

翌土曜日のまだ明るい午後5時頃、S君とサーフに立ち、エギングをした。

21


そして風が出てきた7時半ころに何事もなく二人で引き上げた。

これだけだとあまりに内容が乏しいので余談・・・・。

先日南三陸町に行ってきたが、そのすぐ近くの石巻での話。
あくまで聞いた話だが・・・・。

北上川の支流が流れ込む石巻の漁港に銀ザケの養殖生け簀があった。
その生け簀が被災して大量の銀ザケが逃げ出した。
その銀ザケが産卵で遡上するためにやって来た天然のサクラマスの群れと合流し、大挙、北上川の支流を遡上し始めた。
それを狙って大勢のルアーマンが来てるらしい。
そんな中、一人のルアーマンが大物をかけた。
ところが重いだけであまり引かない。
あがったのはなんと赤ん坊の遺体だった・・・・・・(; ̄Д ̄)。


震災復興ボランティア(11.5.16〜18)No.2

二日目は遠藤さん宅を出てマイクロバスでボランティアセンターへ向かった。
自衛隊によってかけられた仮設の橋を渡り、南三陸町中心部を通る。
仮設の橋を渡る



そこには凄惨な光景が延々と連なっていた。
木造の建物は全て流され、鉄骨造の建物は骨組みだけにされ、RC造の建物は内部を破壊されながらもかろうじて残っている。
被災地



鉄骨の骨組みだけを残した防災対策庁舎。
ここでは最後まで避難を呼びかけた女性職員が流された。
また、屋上の鉄塔にしがみつた町長外数名の職員が九死に一生を得た。
防災対策庁舎



耐震補強されたRC造の病院はなんとか耐え、残っていた。
漁船が低層部の屋根に載ったままだ。

船が載った病院




海岸線からかなり内陸に入った所のRC造の共同住宅の屋上に載った車は今もそのままだ。
南三陸町は海側の間口が広く、奥が狭い地形のせいか、かなり海岸線から離れた所でも高い津波が押し寄せたみたいだ。
車が載ったマンション


道路は瓦礫が撤去され復旧していた。
道路



電柱は新しく設置され、コンビニも仮設店舗で営業を始めたようだ。

コンビニ看板



職業柄、本当は車から降りて建物の被害状況をよく見てみたかったのだが、ボランティアが目的のため、先を急いだ。
ボランティアセンターは被災した中心部を抜けた高台にある。
ボランティアセンター


まず、ここで受付を済ませ、仕事の割り当てを待つ。
ボランティア受付


瓦礫の撤去作業を想定して,我々はヘルメット、防塵眼鏡、防塵マスク、皮手に安全靴と装備の準備は万全できた。
ところが割り当てられた作業は被災して泥だらけになった写真の清掃業務だった。
ちょっと拍子抜けしたけど、親父達にはちょうど良い軽作業だったかな。
幸せそうな家族の写真を見て、今この家族はどうしているんだろうかなどと思いながら、まだ乾いていないヘドロを刷毛で落とす作業をこなして今回のボランティア活動を終えた。
尚、個人情報に触れるということでここでは撮影禁止。



今回振り返ってまず感じたのは阪神大震災を上回る震度7を記録したにもかかわらず、阪神と違い地震による直接的な被害が非常に少なかったこと。
明らかに新耐震以前とわかるビルや住宅にも大きな被害が見られなかった。
これは今回の地震が短周期だったことが幸いしたようだが、これについては今後詳しい研究結果が報告されるだろう。

そして津波の想像を絶する威力に驚愕した。

これに対抗するにはまだ人間の知力は及ばない。
TVの映像で見るのと違い、実際目の当たりにするとあの一面瓦礫の原野と化した街の光景が心に焼き付いてしまう。

災害復旧支援ボランティア(11.5.16〜18)No.1

苦労して設計した保育園もようやく仮使用許可を取り、仮引き渡しが済み、仮設園舎の解体と被災したEVメーカーの工事を残すのみとなりホット一息。

保育園


ということで5月16日の夜から仲間9人でマイクロバスに乗り南三陸町に復興支援のボランティアに行ってきた。
まず、仙台に翌早朝到着した。
仙台市内には、多くのビルが建ち並んでいるが、タイルの剥落やクラックが所々見られる程度で、大きく損壊した建物は見られなかった。
もっとも立ち寄ったホテルは消防設備が破損し、宿泊部門の営業は再開していないということで目に付かない被害は受けたビルは多いのかも知れない。
仙台で現地の仲間4人と合流し、南三陸町を目指した。
応急補修で不陸の目立つ三陸自動車道を北上すると所々に被災した瓦礫の集積所が見られるが、損壊した建物はほとんど無く、ほんとにあの大震災にあったのかと疑ってしまうような街並みが続く。
しかし、車が南三陸町に入ると様相が一変する。
TVの映像で見た瓦礫の原野が延々と続く。

南三陸町入り口


初日は南三陸町の志津川の大久保という140人くらいの住民のいる地区で炊き出しを行った。
仲間の料亭の若旦那の指示で豚汁、サラダを作り、アジの干物を焼いたりして住民の方々に振る舞った。

豚汁準備


また、事前にそこの地区の世話役の遠藤さんと言う方と連絡をとりながら不足している日用品を買い集めて提供した。
支援物資の一部


支援物資


現地の方は話を聞くと友人、親戚を失った人が多いし、危機一髪で津波から逃れ大変な恐怖を味わった方も多い。
にもかかわらず、彼らに悲惨さは微塵も無く明るい。
なんだかこちらが逆に元気づけられてしまう。

豚汁配布


仙台の仲間が用意したケーキには少女の目が輝いていたのが印象的だった。

また、用意した豚汁は少々不足してしまったが、皆さんに喜んでいただいたみたいだ。

この日はまだ水道も復旧していない遠藤さん宅に泊めていただいた。

遠藤さん宅

(遠藤さん宅のすぐ下まで津波が押し寄せた。屋根の瓦はひとつも落ちていない。)

イサキ(11.5.03)1

GWは取引先のT社の餌釣りエキスパートのS氏に誘われイサキ釣りに行ってきた。
伊豆の川津から出港ということでベッチと前夜から現地入り。
早朝、近くの地磯でエギングしたが、第1ラウンドは何事もなく終了。
第2ラウンドのイサキ釣りは沖アミコマセで釣る。
自称ルアーマンのオレとしては苦手なジャンル。
開始早々から根掛かりでビシをロストしモチベーション急降下。
そんでもって途中からインチクをしゃくったり・・・・。
そんな中、オレと同じ自称ルアーマンでイサキ初挑戦にもかかわらずベッチは餌釣りエキスパートのS氏を上回る驚異的なペースで次々とイサキをキャッチした。
終わってみればベッチは30匹くらいキャッチして断トツの竿頭。
オレは2匹でドンベタイ。

イサキ11.5.03


何なんだこの差は・・・・!
棚取り、道具、仕掛け、等々・・・・。
でも一番は真摯さの違いかな。

ルアーマンより餌釣りに転向した方がいいんじゃないかい。

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